それはスタジオの駐車場から幹線道路への交差点を曲がった一瞬に
始まり、そして終わりを迎えてしまった。

いつものように練習してスタジオから出ると、かなり激しい雨が
降っているように見えた。駐車場が少し離れているので、先に車を寄せて
サックスを乗せたが、雨は思った程でもないと思った。

交差点を右折して幹線道路に入って行った。
曲がって行く方向の道に水が溢れているのが目に入ったが、すでに
交差点を通過してしまっていた。まずいと思いながらも進むしかなく、
水位は刻々と増加している様子。
数台前の車が止まってしまったらしく動かなくなってしまった。

追い越し車線の方が水位が低かったので、ほとんどの車が内側の車線に
いたが、動かなくなったので外側の車線から通過して行く。
まだ水位は車の底には達してない程度で、排気から水が入らないよう少し
吹かしぎみにした。

早くここから抜けなければと思いながら、進んでいる途中でエンジンストップ。
内側車線に戻らなければ道を防ぐとおもったが、通れるかどうかぎりぎりの、
車線を跨ぐ位置で停止してしまった。

セルをまわしてもかからなかった。電気はついている。回復の兆しは無いし、
セル脱出も不可能だった。水位はさらに上昇し、ドアをあけると入ってくる
ぎりぎりに迫っていた。

脱出しなければ、はやく水から引き上げてあげたい。ズボンのすそをまくり
上げ、泥水の中に出た。とても臭かった。

動かなくなった156のお尻を押す。揺れる程度で手応えが無い。
さらに水かさは増えマフラーはもう完全に水の中だった。
100m程先は水は無いようで、ちょうどわずかなくぼ地になっているようだった。

無駄かもしれないと思いつつ、156のお尻を押し続けた。少し前に進むけど、
すぐに押し戻されてしまう。うしろにいた車はぎりぎりをすり抜け通過したようだし
その後は水が酷くなってここまで来る車はいなくなってしまったようだ。
しばらくは後ろから来る車の心配はしないで良かった。

すこしずつではあるが車は移動した。傾斜が少しましになった為か、水流が少し
落ちて楽になったのか理由はよく分からないが、右端に車を移動する事が出来た。
次ははやく水から引き上げたい。

押し続けていると、手伝いましょうと声をかけてくれた人がいて2人で押した。
手伝ってくれている人も、同様に車が止まったそうで、前方に停止していた。
そこまで押してゆき2台並べて停止した。

押している最中に水位が少し下がって来たらしく、横を通過しいく車が増えて来た。
トラック2台が、押している横をかなりのスピードでクラクションを鳴らして
通り過ぎ、泥水をまともに浴びせかけられた時は何だか情けなかった。

この時の水位はドアより少し下、でも一番増加していた時には超えていたようで
車内も浸水していたようだ。

セルは全然回らなかった。但し電気系は動いていてライト、ラジオ、エアコン
等は動いている。バッテリー温存の為、ハザード以外の全てを切った。

時間は遅かったので誰もいないと思いながら、一応今後の修理、車をどこへ
持って行くか等の相談をしておこうとディーラに電話を入れてみた。

吸気が下側に付いているらしく、水を吸い込みやすい、水を吸い込むとエンジン
が駄目になるので、無理にセルを回さないで欲しいと言われた。が、既に
止まった瞬間からセルは何回も回そうとしていた。

水が引いて来たので三角表示装置を置きに行った。これを使うのは初めてだった。
止まっていた車達はほとんど動いたようで、残っているのは2台だけだった。

ディーラのトラックに積まれ156は工場へ。送ってもらった車から、トラックに
つまれた後ろ姿を見て、ちゃんと戻って来るかなと少し寂しい気分になった。

2日後、ディーラから連絡があり、エンジンが駄目な事を聞かされた。
エンジン、コンピュータ、吸気系、車内の処理まで含め、現実的に考えると、
復活させるのは大変であり廃車にする事になってしまった。

目指せ10万キロを宣言していたし、その先も行ける所まで付き合おうと思って
いたので戻らないと思うととても寂しいし、もう少しタイミングがずれて
いれば避ける事が出来たのではないかと思うと残念だ。

水没の前日に見ていたオペラ座の怪人のノーリターンのメロディーが頭の中に
響き渡り、赤と黒の映像が目に浮かぶ。

赤いアルファとの7年3か月、この車と機械を超えた付き合いをしていた
かもしれない。